外国人雇用の課題点として、外国人社員の日本語能力はコミュニケーション上のトラブルを引き起こしかねません。母語ではないため、しょうがないと目をつむる部分もありますが、「わかりました」と言っているけど、わかっていないことが多いと感じる方は多いのではないでしょうか。
東南アジアを旅行すると、何とか英語でメッセージを伝え、耳を傾けてくれた現地の人が、「OK,OK」といって、優しくエスコートしてくれることが多いです。
しかし、行き先を伝えたタクシーの運転手は、実は行き先を知らず、遠回り・・・、飲食店のスタッフは、頼んだものと全然違うものを提供して、にっこり・・・。
この「わかりました」という返事(相づち)に関する、概念や文化差は非常に色濃いものがあります。
タクシーの運転手は、「とりあえず乗車して目的地を一緒に探すから、行きましょう」
飲食店スタッフは、「外国人はみんなこれが好きだから食べてみて」
このようなニュアンスで、話しかけていることが多いのです。
これに対して日本人の常識から捉える「わかりました」には、「引き受けた(理解)からには、自分で責任をもって完遂するものだ」という聞き取り側の責任について、非常に重きを置くことが特徴といえます。
ビジネス上の「わかりました」
こうした「文化差」が、ビジネス上でもよく起きることです。東南アジア拠点で勤務する筆者は、毎日のように、こうした文化差を肌で感じてきました。
たとえば、次のようなやり取りです。
日本人「明日までに、契約書の返送をお願いします」
現地取引先「わかりました」・・・(2日後)↓
現地取引先「こんにちは、契約書のデータどこですか」
冗談ではなく、こうしたやり取りは外国人雇用をする企業においては、理解しておかなればならない「文化差」です。
日本人からすると、「それ、今言う?」「ここまで丁寧に説明しないとダメなの?」と感じてしまうことが多いですが、これは別記事でもこれまで説明したとおり、決して「日本人が優秀」な訳ではなく、「日本語自体が、多くを話さなくても分かり合える」特徴があるから、なのです。
よく、技能実習の現場などにおいては、
雇用者:「こうこう、こうして、こうします・・・」(説明)
雇用者:「わかりましたか?」
技能実習生A:「はい、わかりました」
技能実習生A:作業開始・・・・
雇用者:「Aさん、それ違います。分かっていないじゃないですか!」
というやり取りをよく耳にします。
「わかりましたか」は、正しい確認方法か
外国人人材とのやり取りにおいて、彼らが使う「わかりました」には、
- 本当に理解して正しい実行イメージがついている
- 理解はしていないが、実行すれば分かるだろう、という楽観視
- 理解はしていないが、「こういうことかな・・」と誤った実行を想像する
- 日本人には、とにかく、「わかりました」と返答する癖がある
- 話を聞いておらず、ほぼ反射的に「わかりました」とやり過ごす
こうしたタイプに分かれます。
ここで考えるべきは、理解しているかどうか、を確認するのに「わかりましたか?」という質問は効果があるのか、という点です。
「わかりましたか?」と聞いて、結果的に理解していないことを指摘するのでは、外国人社員と雇用者双方の時間を無駄にしてしまうことになります。
「外国人は無責任に返事をする」と捉えかねないケースではあるのですが、話を聞く外国人社員の側は、日本人上司の言うことを「理解する責任」があるのと同時に、 指示説明をする日本人上司側にも、「理解させる責任」があることは忘れてはいけません。
ふさわしい確認の仕方
これらをふまえると、正しい「確認方法」というのは、
実際にやってみてもらう、自ら説明してみてもらう
ことしかありません。
雇用者:「こうこう、こうして、こうします・・・」(説明)
雇用者:「わかりましたか?」
ではなく、
雇用者:「こうこう、こうして、こうします・・・」(説明)
雇用者:「では一度、やってみてください。分からないことがあれば今聞いて下さい」
というように、実践を促すことが大切です。このほかに、
「今私が言ったことをもう一度説明してみてください」
という促し方をするアドバイスも人材エージェントから外国人雇用のコツとして紹介されるのですが、これは時と場合によって実行すると良いと考えます。
上記のやり取り例に限っていえば、あまり、この聞き方を多用、継続し続けるのは、日本人の定義する「わかりました」を理解するのに、効果的ではないと筆者は考えます。(その場で実践してもらうことができない場合は除きます。)
「分かりません」が言える関係であるか
理解をしたか、確認をする際の回答としては、「わかりません」という返し方がもちろんあります。
日本人の感覚としては、「分からないなら分からないと、恥ずかしがらずに言いなさい」という「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」の教育が根付いているものではありますが、海外ではこれが同じではありません。
また、たとえば集団の中において、自ら手を挙げて分からないことを聞くことは日本人でさえ、得意ではないはずです。
東南アジアを中心とする国々では、少しこの「聞くことが気恥ずかしい」という感覚に近いものを持っていると考えられます。
つまり、集団に対して「わかりましたか」と聞いたとしても、他のメンバーに合わせて「はい、わかりました」と言うしかない状況を自然に作ってしまっているケースがあります。
また、指示の仕方に威圧感があったり、「わかりました」としか返答できない雰囲気を作っているのは、まぎれもなく日本人上司、先輩であることも想像に容易いのです。
本記事で述べているのは、外国人社員には、優しくしてほしい、という意味ではありません。指示をする側、される側の立場、その責任をしっかり理解して、コミュニケーション術を見出してほしい、ということです。
外国人採用をするも、苦労される雇用者の皆さまの参考になれば幸いです。